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写真と日常と。
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ゴチャゴチャ考えながらいじってたらキモくなった。
人の顔って時々怖いものに感じる。



さて、なぜ前回のような記事を書いたかと言うとですね。
あたし自身が受けた評価とかそういうのが、
誰かの七光り的な何かやコミュニケーションを取った結果…
そんな部分が大きいような気が以前からしていたからです。
これは、某サイトで頻繁にランキングに上がるようになって、
余計に強く思うようになった事なんですよね。
言葉は違えど、かなり前にこういう意味合いを含んだ記事を書きました。

本当に「作品」が愛されたのか。
そこの部分が酷く微妙に感じるのです。
「あの人(プロ等)が良いと言うなら、これは良いのだろう」
「この人すごいんだよね。その世界(たとえばブログ、写真サイト等)で有名だよね」
そういう風に思う事って、本当に皆無ですか?
「FavもらったからFavしにいかないと。(コメントもらったから返しに行かないと)」
そういうお歳暮的感覚って、無いと言い切れますか?
それらが個人を優遇してしまう一因となって、作品の評価を底上げしている可能性はありませんか?
ちなみに某所で長期に亘って実験してみたんですが、
Favを返さないとFavは目に見えて減ります。これマジ。
つまりは「そういうこと」も実際ある。
もし、そういったものが積み重なって出来た価値だとしたら、
それは芸術と言う枠にあって「芸術」と言っていいものなんだろうか?
それが罷り通るなら、じゃあ「芸術的価値ってなんなのさ」。

芸術とは美の表現活動です。
コミュニケーションやプレゼンテーション、また、自分が持っている人脈などは
個人の価値であるかもしれないけれど芸術の価値ではない。気がする。
実際自分でもよく分からないのですよ。
それもこれも含めて自分なのであるから、素直に「芸術としての評価」と理解して受けるか。
それとも、「作品としての評価では、おそらくないだろう。しかし…」と、
それはそれ、これはこれで受け止めるか。
それとも、「これは芸術としての評価ではないから受けられない」とつっぱねるか。

評価されて嬉しくない人は少ないと思います。
あたしも評価されれば、表面には出さなくてもすごく嬉しいです。ツンデレなんです(違
だけれどそこに、作品の評価以外の何かが入っていると、
なんだか複雑な気分になるのも事実。正反対の感情に両方を挟み込まれる感じ。
そうやって作り上げられた価値に、本当に意味はあるのかな?って思うんです。
作品1+その他9=総合10 の評価は、本当に作品の良さだと言えるの?

わからないです。
単にあたしが捻くれてるんですかね?^^;

現在仕事前で時間が無く、ザッと書いたため、さほど推敲しておりませんw
おかしな文脈もあるかもしれませんし、伝えるにあたって
言葉の足りない部分もあるかもしれません。


あたしが「真」だと思う事が、必ずしも他の人の「真」になるとは限りません。
善悪も同じ。
物事は多面です。
しかしそれを分かっていても納得できなかったり理解できなかったり、
人って本当に難しいなぁ。





未だにこの腐った死にかけブログ(笑)や写真を観てくれてる方は
本当にあたしの写真だったり、あたしだったりを受け入れてくれているのかもなぁ。
と思うと、嬉しく思います。
全てにおいてたくさん変化してきたけれど、それを認めてもらえると言うのは
辛うじて人らしく生きられる、その可能性が残っているんだな、と。
病んだ頭で思うわけです。
ありがとう。
[ 2008-10-12 (Sun) 09:31 ]  
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